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What you don't know is what you are to know

無理解・無関心・「鬱は甘え」は鬱病患者を殺してしまうことを知って欲しい

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私が高校生のときに母親が鬱になりました。というより、鬱であることに気づきました。


小学生の時から鬱病であることは聞いていましたが、私にとってはそんな母が日常だったので高校に上がるまで何とも思っていませんでした。


本当の意味で母の鬱病に気づいたのは、父の帰ってくる音に、母が怯え始めたころでした。みるみるうちに生気を失っていく母を見て初めて、母の病気を意識しました。


「鬱病は病気じゃない。甘えだ。あなたは頭がおかしい。」


父からこんな言葉をかけられ続けた母は、日中何もできず寝ているだけの時間が増えていきました。毎食後、10錠近くの薬を飲んでは動けなくなっている姿を何度も見ました。


鬱病は病気です。


私は母が鬱病になってから高校生になるまでの間、何もしてこなかったことを悔やんでいます。そして、今なお鬱病に無理解・無関心な言動をする父を恨んでいます。


無理解・無関心・「鬱病は甘え」は鬱病患者を殺します。

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鬱病発症のきっかけ


母は元来、元気で活動的な人でした。小学生の記憶ですが、自分の趣味を持ち、楽器を弾き、イベントに出かける姿が印象的でした。


そんな母が鬱病となったきっかけは父の単身赴任です。突然決まった単身赴任に、父は家族全員でそのまま海外に移り住むことを提案します。母の言葉を聞く限りは提案というより強制だったそうですが。


家族がいると言えど、親族も友達もいない、英語も話せない、という独りぼっちの状況は母には極度のストレスになりました。数年の赴任に耐え、日本に帰ったときにはすでに鬱病を診断される状態でした。


赴任中、父に孤独だと泣き言を言うときもあったのですが、「俺の方が大変なんだ。」と一蹴されてしまったそうです。


母はいつからか薬を飲み始めていました。小学生のときからその姿を見て慣れてしまった私は、母は病気である、という意識を一切持てませんでした。


今になって、数年間も自分の病気を家族が理解してくれない辛さを考えると、やりきれない気持ちでいっぱいになります。



鬱病の人を追い詰める無理解・無関心


父は鬱病になった母に無理解・無関心でした。それどころか、母が「変な病気」にかかってしまって「恥ずかしい」と言うときさえありました。


母が鬱病治療のために父の同行を求めても父は応じませんでした。担当医の先生が頼んでも結果は同じで、「鬱は病気」であることを頑なに認めたがらない様に見えました。


父は精神的、肉体的に強い人であったので、おそらく、精神的に弱い人というのが根本的に理解できなかったのだと思います。「頑張ればなんとかなる、頑張ろう。」と思えない人もいることが彼には受け止め難い事実だったのでしょう。


そんな「鬱は甘え」であるという態度が続き、母と喧嘩した際には「あなたは頭がおかしい」と罵声を浴びせる姿も見かけました。そんな言葉に最初は「鬱に理解がない。私の頭はおかしくない。」と激昂していた母も、私が高校生になるときには元気を失くしていきました。


今考えるとそんな異常な風景も、慣れてしまった私や兄妹にとっては大した事態には思えませんでした。むしろ、父の強い言葉で、私たちのお母さんは少し変わっているんだなと感じていました。



母は無理解な家族に殺された


母は、当時よく家にいた私と一緒に出かけることを好みました。自分の子供に助けを求められない母の精一杯の努力だったのだと思います。


家では静かな母も、外で一緒にいると楽しそうで、よく笑う姿をこのときはまだ見ることができました。


高校で部活も忙しくなり、家にいることが少なくなると、母と2人で出かける回数はどうしても少なくなります。家での元気がさらになくなっていく母を心配しながらも、私含めた家族全員は母の病気に無関心でした。


そのころから、母は父の帰宅する音に怯えるようになりました。


体がだるくて家事ができない母を父は責めたて、母の言うことを強く否定する。こんなことを繰り返すうちに母は父の存在に恐怖するようになっていました。


明らかに薬の量が増え、何もできず家で寝ている時間が増えました。夜、薬を飲んでリビングで倒れて寝ている母を寝室に連れていこうとしても、一切起きる気配を見せず、次の日には記憶がない、なんてこともありました。


母の体調は急激に悪くなっていきました。元々、元気で活動的だった母はこのとき趣味の楽器もやめ、イベントに参加する体力もなくなっていました。昔の姿を思うと、当時の母は死人のようでした。


そんなある日、家に帰ると母がいませんでした。


父は「お母さんは出て行ったよ。」とだけ言います。私は「あ、そう。」としか言えませんでした。父が、あまりにも、気にしていないように見えたからです。ちょっと喧嘩した程度だと思ったのです。


このときの母は、疲弊しきっていたのだと思います。そして、その状況を作っていたのは私たち家族でした。


数日後、離婚が決まりました。



離婚→回復へ


離婚後、母は徐々に元気を取り戻し始めました。無理解な父から離れ、無関心な家族から離れた結果でしょう。


鬱病悪化の元凶となっていた私たちから逃げることが唯一の治療法だったのでしょう。


病状がひどく悪化するまで何もしてこなかったことを泣いて詫びました。母が何も出来なくなるまで追い込んだのは、決して父のせいだけでなく、母の病気と向き合わなかった家族全員の責任でした。


母は、あなたのせいじゃない、と私を庇いますが、そんなことはありません。無理解も無関心も鬱病を悪化させる要因にしかならないのです。


私は今でも、何もしてこなかったことを悔やんでいます。今もなお鬱病に無理解な父のことを恨んでいます。


あなたの身の回りに鬱病の人はいませんか?


理解と関心を持って接していますか?


鬱病は病気です。甘えではありません。

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最後に


現在、母はだいぶ回復しました。趣味を再開しただけでなく、学校でボランティア活動をするなど、以前の活発さを取り戻してきました。


しかし、鬱病は完治が難しいと言われています。母がこれからも元気でいるためにも、私は常に母の味方であり続けることを誓います。