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「勉強」は何の「能力」を測るのか

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日本が今現在『学歴偏重社会』であることは間違いないでしょう。

大企業が学歴重視の選考をしていることは一般的で、生涯年収も学歴に応じて高くなる傾向が見られます。

そして、世間一般的にも高学歴の方が能力が高いと見られがちですが、学歴や勉強によって測れる能力とは一体何なのでしょうか。



”学ぶこと”と”身につくこと”

まず、「学歴」を生み出す直接的な要因である、学校の勉強とはどういう意味を持つのでしょうか。

学校の勉強は主に3つの種類に分けられると思います。1つは人文科学系(国語や社会など)、もう一つは自然科学系(算数、数学、理科など)、そして最後は道徳や実社会的な総合学習です。

人文科学系では世間一般で言う教養に繋がることを多く学びます。

文章を読み、意味を理解できる、逆に文章をアウトプットできる、あるいは歴史や政治などの仕組みを知る。

これらのことを学ぶことで、人が産み出すもの、人間社会の機構への理解力が高まります。

自然科学系ではいわゆる科学的な思考を育みます。

自然現象や身の回りのことに対して先人たちはどのように説明を与えてきたかを学ぶことで、外界に対する論理的、合理的な視点を身につけていきます。

道徳や実社会的な総合学習とは、学校で説教を受けたり、道徳的な話をしたり、地域と関わるイベントに参加したりすることで身についていく学びのことです。

人間は相互関係を持たないと生きていけない動物なので、他人にとってなにをすべきか、なにをすべきでないかを判断する能力も必要になってくるわけです。


このように、学校では何かを学んだとき、それに付随してくる能力が必ず有るのです。

「微分積分を学んだから微分積分が出来る」というストレートな関係ではなく、「微分積分を含む数学の概念を学んだことで、人間社会における物事に合理的な説明をつけられるようになった」と考えるべきなのです。



「勉強」で測れる能力、測れない能力

上で述べたことを踏まえると、「勉強ごときで人の能力は測れない」という主張は非常に弱いものとなります。

「勉強」してきた人とそうでない人では知識が豊富だ、とか、数学の難しい問題が解ける、などの「学び」の点ではなく、付随してきた能力「理解力」や「論理的思考力」において差は生まれてしまうのです。

かといって「勉強で人の能力はすべて測ることができる」、つまり「勉強してる人の方が能力が高い」という単純な主張に繋げることはできません。

あくまで、「勉強」をすると付随してくる「能力」は実社会においては一部でしかない、からです。

例えば、(特に日本では)勉強の成績や学歴だけでは対人能力は一切わかりません。

この対人能力ですが、たかがコミュ力、というものではなくそもそもどんな科学分野も研究も人の繋がりやコミュニケーションによって支えられ、成長していることを考えると非常に大事な能力であることがわかると思います。

それだけではありません。

勉強をしていると周りの世界に対する客観的、論理的な視野が身につきますが、

周りの世界を主観的に解釈して、たとえ非合理的であっても自分の中に落とし込む能力はスポーツや芸術を経験しないと身につかないものでもあります。

主観的に得られた情報から現状に合う最適解を見つける能力はおそらくスポーツや芸術を経験することで大きく成長するのだと思います。



「勉強」は必要だけど全てじゃない

他に勉強で身につく能力を考えると、受験勉強の中で希望の学校へ合格するための計画力や、一定の期間目標達成のために苦しい環境に打ち勝つ耐久力というものも考えられるかもしれません。

ただ、これらは部活の大会音楽のコンクールといった目標でも同じような能力が得られるでしょう。案外「勉強」で身につく能力は万能ではないのです。

やはり改めて言いたいのは「勉強ごときで人の能力は測れない」わけではないけれど、かといって「勉強してる人の方が能力が高い」わけでもない。。

あくまで「勉強すると育つ能力もある」程度のことでしょう。



最後に

日本、なんて規模を広めるつもりはありませんが、自分の周りにはどちらか両極端な人が多い気がします。

日本は学歴社会の傾向が強いので勉強するに越したことはないのでしょうが、「勉強=万能」の価値観が広がるのは嫌だなと思います。